おはようございます。

 

緊急事態延長が、延長されました・・・。
引き続き、各自ができることをやっていきましょう。

貴方の行動は貴方だけの問題ではないのですから。


『枝野ビジョン』を読み終えました。
続きです。



 

<目次>
・前編の追加

枝野ビジョンの難点

その現状分析は的確か

それはビジョンなのか

道徳はいらない

結語

 

前編の追加

とても大切な論点であり、これまで与党と野党を分けていた決定的な違いである、憲法第9条に係る日本の安全保障に係る日米同盟について追加しておきます。

 

枝野氏は本作ではっきり健全な日米同盟を軸にと書いています。
そして、健全なという形容詞をつけた理由は、米国に対し地位協定の改定を粘り強く働きかけていくことを挙げています。
そして、普天間基地の問題の中止と危険除去について米国に対し丁寧に求めていくと付け加えました。

 

おそらく、安倍元首相の地球儀外交を意識した枝野外交の旗印を人権・民主主義・地球環境・核軍縮・公平なルールつくりとしました。

 

 

枝野ビジョンの難点

すでに過日のエントリで指摘したとおり、これらの施策の方向性を仮に肯定するとしても優先順位が判らないのです。


本作で頻出する氏の言い回しを拾ってみましょう。

・特に重要なのは、・・・。P.137
・ ・・・は死活的に重要だ。P.168
・ ・・・、最も効果的な経済政策である。( 同 )
・重要な支え合いの一つが「教育環境の充実」だ。P.166
・重視すべき経済指標は、「国際収支の黒字を維持する」ことである。P.178
・今の日本に求められる視点は、・・・。P.181
・今後、重要な意味を持つのが、「自然エネルギーシステムの構築」である。P.185
・もう一つのポイントは、電力消費量を少なくすることである。P.191
・こうした難題を解決することが重要だ。P.194

・・・。

 

かくのごとく、あらゆるものが重要という扱いを受けているのです。
枝野氏が代表を務める立民党が政権を獲ったらこれらに手を付けると言いたいのでしょうが、1期4年として何期務めるつもりなのでしょう。
どれかに焦点を絞って限られた予算を集中的に投下して精力的に取り組まなければ、およそ実現の可能性が見いだせません。
あれもやります、これもやります、と大風呂敷を拡げるのは結構ですが、虻蜂取らずに終わりはしないか、と逆に心配になります。
職業としての政治家は責任倫理を果たすことに求めるなら、成果、結果を出さなければ幾ら高邁なビジョンを掲げても一銭の価値もない、絵に描いた餅を国民に示すだけの山師と同じになってしまいましょう。

 

さらに、中長期的な展望という但し書きのビジョンとしていますが、足元のコロナ感染やTOKYO 2020の開催について一言も触れていないのはどういうことでしょう。
つい先日、夫婦別姓導入を立民党の政策の一丁目一番地と発言していたと記憶しますが、この点についても全く書かれていません。
当然、BLGTについても多様性という言葉に含ませている推察できるだけです。
眞子さまのご婚約で再燃した女性天皇、女系天皇論もスルーされています(ある意味、これは憲法問題でもあります)。
ここでも、職業としての政治家は責任倫理を果たすことに求めるなら、目の前にある課題への解決策を提示しなければ話になりません。*1

 

その現状分析は的確か

新自由主義政策と自己責任論が日本経済に停滞を招き、失われた30年を無為に経過させた上、日本社会の1500年に及ぶ善き伝統まで破壊した、と氏は言います。
その結果、国民は一握りの勝ち組と大多数の負け組に分断し、負け組は学業も就職、結婚、子供をもうける希望を失っている。
この負のスパイラルこそ、現状の日本国の閉塞感の原因であるとしています。

 

さて、新自由主義的政策を何故取ることにしたのかについての考察が観えません。
アメリカのレーガノミクスやイギリスのサッチャリズムの影響を受けて、小泉首相(当時)が導入したかのような書きっぷりですが、この政策が取り上げられた背景はそれなりの必然性を持ったものであることに目をつぶっています。
長くなり、また草臥れてしまいますので詳細は割愛させて貰いますが、一言で書けば、それまで執られていたケインズ政策大きな政府)が一種のモラルハザードを起こし、経済の沈滞を招いていることへの深刻な反省が背景にあることを指摘して置きます(英国病)。

 

新自由主義的政策に負の面があることは確かです。
しかし、それを以て全ての原因を押し付けるのは無理がありましょう。
負の面を改善、改良することは大切な政策課題です。
それが今求められているとの主張であれば、その限りで首肯はできます。
あらゆる政策がそうであるように、正の面、負の面が表裏をなしています。
政治家、為政者はその両面に目を配り、なるべく国民の痛み、特定の層にしわ寄せが行かないようにハンドリングすることが、その政策判断の評価の指標でしょう。

それはビジョンなのか

枝野氏の問題意識は、新自由主義的政策と自己責任論が招いた”自分さえ良ければ良い”という現代日本人の価値観をパラダイムシフトさせ、情けは人の為ならずを信条に、支え合う社会を築こうと提唱しています。

 

前節で指摘したように、新自由主義的政策と自己責任論が登場し、導入された必然性に目をつぶってそれを語っても無力です。
否、無効な議論と言えるでしょう。
もし、そういう価値観が日本国のかつての栄光を毀損しているとすれば、なぜそういう自らを貶めるような価値観を当の日本人は受け入れたのでしょうか。

 

敗戦という国家存亡の危機という局面で日本国憲法を受け入れ、その平和主義を守ってきたのは、既に日本人がそれを受け入れる下地を有していたからであり、それを守ることに価値と必然性を持っていたからでしょう。
それと同じことが、現代日本人の有すると氏が指摘する価値観にも同じく存在するはずです。
前者を認め、後者を否定する根拠は、酷く恣意的なものに聴こえます。
高度成長の恩恵をある程度残しながら、新しい社会への転換していくことができる。P.250
ここで氏が言う新しい社会とは、支え合うという価値観を持った新しい日本人像のようです(尤も、氏はこのような日本人像を1500年の歴史を貫いてきた日本人本来の寛容と多様性であると別の箇所で何度も書いているのですが)。

 

 

必然性を有し、受け入れられた価値観を転換するということは文化革命とも言えるでしょう。
それは、もはや現実の日本人の存在を無視した観念論であり、一種の宗教に似てきはしないか。
氏は無自覚に、あるいは無邪気に目指しているのでしょう。
それはそれで麗しい展望ではあります。
みんな世のため、他人(ひと)ために生きる人達のよる社会!

 

道徳はいらない

資本主義経済が息詰まると必ず頭をもたげてくるのが、マルクス思想です。
既に当零細Blogで検討済ですが、例の『人新世の資本論』はその嚆矢でしょう。

 

前編で書いたとおり、今更大真面目にマルクスの思想を語ってもそれを支持する国民は居ないでしょう。
いや、そういう言い方は失礼でしょう。
未だ、その思想に魅了されている人たちはこの日本に存在しますがね。

 

一人は皆のために、皆は一人のために、によって形成された社会―――共産主義社会。
それが如何に過酷なものあったか、その高邁な理想にも係わらず、そこに到達することが如何に困難であり、それは決して人々を幸せにしなかったことを現在の日本人

は十分すぎるほど知悉しています。

 

そのような幻影、幻想に失望し、訣別した日本人に、改めてそのような社会を目指しましょうと語るには、道徳を説く、性善説に立ちましょう、抜け駆けは止めましょう、と言った辛気臭い説教を垂れるしかないでしょう。
そして、それはお互いに我慢しましょうということを説くに等しい。
さらに悪いことに、その我慢を強い、富を再分配する権限を持つのは為政者であり、その為政者は情報の多寡の違いがあるだけの同じ人間であることです。
政治や行政の最も権力の一つは、公的支出の対象を「選択する」ことにある。公共事業の箇所付け(どの工事を先に進めるかなどを決めて、具体的に予算を付けること)などはその典型である。裁量の余地が大きれば大きいほど、時の権力が自分を応援してくれる地域や業者に都合の良い箇所付けをすることが起こりがちになる。安倍政権における加計学園問題などは、ある意味こうした事例の一つだろう。P.205P.206
これはそっくりそのまま枝野氏に対しても言えましょう。*2
仮に、枝野氏には私心はなく、無欲で、高潔な人物だったとしても、いつまでも権力の座に座っていることは叶わないことです。
やがて、誰かにその座を継承しなければならない時が訪れます。
後継者もまた私心がなく、無欲で、高潔な人物であることに何の保障もありません。
このアポリアを解決(回避)する方法はおそらく次の2つです。
1つは、枝野氏のを引く人物への継承であり、世襲です。
私心がなく、無欲で、高潔なを受け継いだ人物こそ、同じような人物である可能性が高いと思えるからです。
今一つは、柄谷行人氏が書いたくじ引きで決めるという大胆な発想の転換です。
こうすれば、自分が当選するために利益誘導を無効にできるだろう、というものです。
 これら2つの方法が荒唐無稽であり、何の信憑もないことはわざわざ断るまでもないでしょう。
    そこで考え出された方法が、普通選挙による(代議制)民主主義という制度です。
    そこへ、三権分立を加えておくのも忘れないようにしましょう。

 

結語
枝野氏のビジョンを否定するつもりは私にはありません。
氏なりに”健全な野党”とはどうあるべきかという難問についての思索とその方向性を模索した取り組みを評価したい気持ちを持って(持ちたい)はいます。

ただ、余りにナイーブ過ぎて、緒についた瞬間にその公約を破らざるを得ない状況に追い詰められる姿を容易に想像できるだけです。

 

与党 自民党が長く政権の座を居る。
世界でも、独裁国家を除いて稀に見る政治体制が存在して来たこと。
それは、自民党が社会民主主義的政策を上手く掬い上げて、国民の不満を慰撫する手法に長けていたということに尽きます。
もちろん、それは日本人が基本的に真面目で勤勉であるという世界に誇る国民性に手に入れた豊かな社会が背景にあります。
これこそ、1500年続く日本人が世界に誇るべき保守の真髄でしょう。
それは、図らずも豊かな者は貧しい者を助けなさいというアンシャンレジームと呼べるのではないでしょうか・・・。

 

枝野氏が否定したい明治150年とは、西欧から取り入れた資本主義経済だと言いたげです。
つまり、枝野ビジョンは現在の日本の豊かさの恩恵は否定したいものを受け入れないことには論が進められないという致命的な欠陥を既に抱えていることになります。
豊かさの恩恵といういいとこ取りをして、それとは違うもの目指すというのは虫の良い話ではないでしょうか。
 この発想はマルクスの思想の根幹にある捉え方です。
    つまり、この豊かさの労働者階級の汗水たらして生み出した価値を、資本家階級が
    掠め取った(=搾取)によるものだ。

    だから、われわれ労働者階級は正当な理由によりその富を自分たちのものにする権利がある!
    この主張には、負の面は全て資本家階級の責任に転嫁するというロジックが巧みに覆い隠され
    ています。
    ついでに書けば、このような捉え方がやがて”粛清”という悍ましい展開への伏線になって
    行きます。

 

<参照エントリ>


 

<おまけ>


*1.例の希望の党騒ぎについても、一番知りたい、民進党の解党という決定の過程について
   触れていません。まぁ、これはお家騒動なのでゲスの勘ぐりに過ぎないかも知れません。
*2.
もしかすると、この権力による政策の歪みを恐れて、あえて優先順位を付けていない
   のかも知れません。

 

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